京都検定は京都の歴史・文化・観光資源などに関する知識を問うご当地検定で、京都商工会議所が主催している。
出題範囲は公式テキストからの出題がメインで、3級はテキストから90%、2級は70%出題されるので、公式テキストを読み込みながら、記載された場所を足で巡ってみることが京都検定対策で大切とされる。
京都検定=京都市だけが出題範囲ではなく、宇治や長岡京市などの近隣だけでなく、北部の福知山市や宮津市など京都府全域が出題範囲となっているので、市内だけの情報だけでなく視野をもっと広げて学ぶ必要がある。
今回は京都検定公式テキストに掲載の京都市外の全範囲をまとめてみた。
長岡京市
長岡天満宮

菅原道真が太宰府に左遷されるときにこの地で名残を惜しみ、自作の木像を祀ったことから創建。
現在の本殿は平安神宮の旧本殿で、祝詞舎、透塀とともに1941年に移築。
1638年には八条宮智忠親王によって「八条ヶ池」が造営。
乙訓寺

真言宗豊山派の寺院で推古天皇の勅願で聖徳太子の建立とされる。
785年の藤原種継暗殺事件の首謀者として早良親王が捕えられこの地に幽閉された。
空海が入寺して以来真言宗だったが足利義満によって禅宗に、その後桂昌院の援助を受けて再興され真言宗に戻った。
本尊の合体大師は弘法大師と八幡神の合体像と伝わる。
粟生光明寺

西山浄土宗の総本山で本尊は阿弥陀如来。
法然の弟子である熊谷蓮生が1198年に御堂を建立したことがはじまり。
法然が初めて念仏の教えを説いた浄土門根元地。
柳谷観音 (楊谷寺)

長岡京市にある西山浄土宗の寺院。
近年はおしゃれな御朱印や花手水で人気を集めている。
806年に清水寺開山の延鎮が十一面千手千眼観世音菩薩を祀って開創。
811年に弘法大師も参拝し、小猿の潰れた眼を親猿が洗ってあげる姿を見て祈祷をすると小猿の眼が治ったという話から、弘法大師が眼病に悩む人のために霊水にしたとされる「独鈷水」がある。
神足(こうたり)

京都の難読地名
旧田村村のこの地に祀った神足神社が由来。
854年の資料にはすでに神足神社が登場している。
洛西浄化センター公園(アクアパルコ洛西)
下水道処理場の上部を利用。スポーツ・レクリエーションとして使われている。
向日市
向日神社

向日市にある神社。
718年に五穀豊穣の向日神を祀ったのが始まり。
現在の本殿は1418~1429年に造営された三間社流造の建築様式で明治神宮本殿のモデルになったとされる。
石畳の鳥居には小野道風筆の「正一位向日大明神」という扁額がある。
鶏冠井(かいで)
京都の難読地名
継体天皇(500年代)の時代にこの地に三井(井戸のこと)があり、そばの楓が鶏冠(けいけん、とさか)に似ていたことからついた地名という。
物集女
京都の難読地名
古代に土師氏(はじし)の氏族である毛受腹(もずはら)の人々が住んでいたことが由来。
戦国時代には物集女氏がこの地を支配。
一文橋(いちもんばし)
京都の難読地名
この橋を流れる小畑川は度々洪水により橋が流出していた。
再建の負担を緩和するために通行料として一回一文を徴収した。
大山崎町
離宮八幡宮
859年に宇佐神宮から奈良大安寺の行教により勧請。のちに男山にも八幡神を勧請する。
これに由来する祭りである日使頭祭として行われている。
禁門の変では長州藩の陣が置かれ、社殿のほとんどは消失するがのちに再興。
神官がエゴマの種から搾油をしたことが日本の製油の発祥。油の神様として信仰される。
宝積寺(宝寺)
真言宗智山派で通称が「宝寺」
聖武天皇の夢で授けられた打出と小槌を祀り、商売繁盛の寺として知られている。
724~729年に聖武天皇の勅願で行基が創建し本堂に十一面観音を祀った。
三重塔、本尊、閻魔王坐像、司録・司命坐像などの多くの重要文化財を所有。
山崎聖天(観音寺)
真言宗単立寺院で本尊は聖徳太子作の十一面千手観音。
899年に宇多上皇の開基と伝わる。
1682年に勝尾寺から大聖歓喜双身天を勧請し、商売繁盛、良縁和合、除災招福のご利益で信仰される。
禁門の変で焼失するが、島本町の西観音寺の建物を本堂として移築。
妙喜庵
臨済宗東福寺派の寺院で本尊は聖観世音菩薩。
1492~1501年に春嶽士芳禅が俳諧連歌の祖といわれる山崎宗鑑の庵を寺にしたことがはじまり。
千利休が建てた国宝の茶室「待庵」は日本最古の茶室とされ、千利休が建てた現存する唯一の茶室。
アサヒグループ大山崎山荘美術館
天王山の戦いが行われた天王山の中腹に昭和初期に建てられた大山崎山荘を再生して1996年に美術館として開館。
建物と庭園は加賀證券創業、大日本果汁の筆頭株主でもあった実業家の加賀正太郎が設計。
八幡市
石清水八幡宮
859年に、奈良の大安寺の行教が大分の宇佐神宮にて八幡大神から「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御告げを受けて男山に勧請。
939年の平将門・藤原純友の乱の際には朝廷からご請願があり、以降は国家鎮護の社として皇室から崇敬、円融天皇の行幸など歴代天皇が参拝。伊勢神宮とともに二所宗廟とも称される。
弓矢、戦勝の神として武家からも信仰され源氏の氏神として八幡信仰が広まる。
八幡造の本殿をはじめ10棟が国宝に指定されている。
石清水祭
日本三勅祭のひとつ。
863年に放生川に魚鳥を放つ石清水放生会として始まり、948年に勅使が遣わされて以降は勅祭として斎行。
円福寺
臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は十六善神。
通称は達磨堂。
達磨堂の達磨大師坐像は奈良の達磨寺にあったもので日本三達磨のひとつ。
単伝庵
臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は五大釈迦牟尼仏。
江戸時代初期に単伝が開基と伝わる。
大国堂の白壁に願いを書くと叶うことから通称は「らくがき寺」と呼ばれる。
善法律寺
律宗の寺院で本尊は八幡大菩薩像で明治の神仏分離の前は石清水八幡宮で祀られていた。
1257~59年に善法寺宮清が東大寺の実相上人を開山として建立。
宮清のひ孫の良子が室町幕府二代将軍義詮に嫁いで義満を産んだことから、足利歴代将軍が何度も参拝した。
紅葉寺と呼ばれ、紅葉の名所。
女郎花(おみなえし)
京都の難読地名
秋の七草のひとつでもあり、能の演目にもある。
八幡市立松花堂庭園・美術館
松花堂昭乗ゆかりの美術館。
石清水八幡宮の僧でもあり草庵の松花堂を営んだ。
神仏分離により男山から現在地に移転し一般公開されるようになった
内園には松隠、竹隠、梅隠の3つの茶室がある。
宇治市
宇治上神社
世界遺産
応神天皇、応神天皇の皇子であった菟道稚郎子、応神天皇譲位後の仁徳天皇を祀る。
かつては応神天皇の離宮があったが、皇位継承の問題で自ら命を絶った菟道稚郎子を葬ったことがはじまりとされる。
国宝の本殿は神社建築としては最古の遺構で建立は1060年代とされる。鎌倉時代の拝殿も国宝。
宇治神社
宇治の産土神として崇敬。祭神は宇治上神社にも祀られる菟道稚郎子。
応神天皇の皇太子だったが、のちの仁徳天皇に皇位を譲るために自害したとされる。
鎌倉時代の本殿(重要文化財)には菟道稚郎子とされる木造神像(重要文化財)が祀られている。
橋姫神社
祭神の瀬織津姫は橋姫と呼ばれ宇治橋の守護神とされた。
1870年の洪水で流出後に現在の宇治蓮華に移転。
源平盛衰記には嫉妬の神として記され、縁切りの神としても信仰される。
放生院(橋寺)
真言律宗の寺院で通称が橋寺。
604年に聖徳太子の発願で秦河勝が創建。
宇治橋が架けられた際に橋を管理する寺となった。
宇治橋断碑は宇治川に初めて架けられた橋を記念する石碑で日本三古碑にあげられる。
宇治川中洲の浮島十三重塔は日本最大の石塔で叡尊が建立。魚霊の供養と宇治橋の安全を祈願。
興聖寺
曹洞宗の寺院で本尊は釈迦如来。
道元が深草に道場を創建したことが始まり。
その後衰退するが、1648年に淀城主の永井尚政が菩提寺として復興。
本堂の血天井は鳥居元忠らが自刃した伏見城のもの。
宇治茶祭
10月第1日曜に宇治橋や興聖寺で行われる。
栄西、明恵、千利休の3人の茶祖を偲んで行われる。
宇治橋では名水汲み上げの儀、興聖寺では茶壺口切の儀などが行われる。
萬福寺
黄檗宗の大本山で本尊は釈迦如来。
1661年に隠元が中和門院(後水尾天皇の母)の別荘跡に創建。
隠元、木庵、即非如一の書は「黄檗の三筆」として有名。
大雄宝殿、法堂、天王殿は国宝。
天王殿の布袋像は弥勒菩薩の化身であり、都七福神まいりが行われる。
売茶堂は茶聖の売茶翁を記念して建立した。煎茶文化の拠点として煎茶道連盟の本部もある。
願行寺
浄土宗の寺院で本尊は阿弥陀如来で、霧がくれの弥陀と呼ばれる。
1238年の創建で開山は木幡流祖の良空慈心。
水辺より現れたと伝わる薬師如来像は「浜の薬師」と呼ばれる。
平等院
無宗派の単立寺院で本尊は阿弥陀如来。
1052年に藤原頼通が、父の道長の別荘であった宇治殿を寺としたことが始まり。
以後藤原氏によって法華堂、多宝塔などが造営。
鳳凰堂、定朝作の阿弥陀如来、木造雲中供養菩薩像 52躯、梵鐘など多数の国宝を所有。
三室戸寺
本山修験道の別格本山で本尊は二臂千手観音。
西国三十三所第10番札所。
770~80年に山奥の渓流から現れた二臂千手観音を見て喜んだ光仁天皇が御室を移して二臂千手観音を祀ったことが始まり。
1573年の槙島合戦では足利義昭に協力したため織田信長によって焼き払われた。
重要文化財の寺宝に清涼寺式の釈迦如来立像、毘沙門天立像、阿弥陀三尊像などがある。
あじろぎの道
宇治川の橘橋から西側に沿って続いている小道。
あじろぎは「網代木」で、宇治川で行われていた漁法の「網代漁」の網代を繋ぐ杭のことを指す。
源氏物語宇治十帖の「宿木」の古蹟がある。
さわらびの道
宇治橋東詰から放生院、宇治神社、宇治上神社、源氏物語ミュージアムへと続く道。
源氏物語宇治十帖の「早蕨」の古蹟がある。
宇治公園
宇治川中洲の中の島地区とよりみち公園からなる。
山城総合運動公園(太陽が丘)
球技場やプール、キャンプなど府内最大の公園。
宇治源氏物語ミュージアム
1998年開館、宇治川のさわらびの道沿いにある。
源氏物語と宇治十帖について学べる。
宇治田原町
猿丸神社
宇治田原町にある神社。三十六歌仙の猿丸大夫を祀る。
瘤取り、癌封じの霊験として信仰。
正寿院
宇治田原町にあり、ハート型の猪目窓が写経机に反射する光景で近年SNSを中心に人気を集めている。
高野山真言宗の寺院で創建は1200年。
本尊の十一面観音は50年に1度ご開帳される。
不動明王坐像は快慶の作で重要文化財。
夏は2000個以上の風鈴を吊るす風鈴まつりが行われることから風鈴寺として知られる。
禅定寺
宇治田原町にある曹洞宗の寺院。
991年にこの地で十一面観音が安置され、造営に5年費やして創建された。
藤原摂関家の帰依を受けて当時は広大な寺領があったがやがて衰退、月舟宗胡が加賀藩の援助を受けて再興。
本堂の茅葺が特徴で本尊など、藤原時代の重要文化財の仏像が多くある。
京田辺市
大御堂観音寺
真言宗智山派の寺院。
普賢寺という地名はかつての寺院名に由来する。元は大寺院だったが焼失後に大御堂のみ再建された。
本尊の十一面観音立像は国宝で奈良時代の作。
竹送りという行事は、2/11の朝に掘られた竹を大御堂に集め、東大寺に奉納する。
酬恩庵(一休寺)
臨済宗大徳寺派の寺院で本尊は釈迦如来。
南浦紹明が1288~1293年に建立した妙勝禅寺が始まり。1456年に一休宗純が復興し酬恩庵と命名。
方丈東庭は「十六羅漢の庭」と呼ばれる。
薪(たきぎ)
京都の難読地名
かつては石清水八幡宮の社領で、薪を奉納していたことが由来。
一休宗純が過ごした酬恩庵がある。
城陽市
木津川運動公園
広大な大芝生広場、サークル広場など、自由に使えるスペース。
木津川市
湧出宮
木津川市の神社。和伎神社とも呼ばれる。
766年にこの地に一夜にして森が湧き出したことからこの名前になった。
豊作を予祝するいごもり祭は、村人が家にいごもって一切音を立てなかったことから音無しの祭とも言われる。
棚倉の居籠祭
崇神天皇と武埴安彦らの戦いの戦死者の霊を鎮めるための祭りで、2月第3土日で行われる。
国の重要無形民俗文化財に指定。
1日目に野塚神事、門の儀、大松明の儀、、2日目に饗応の儀、御田の式、御供炊き神事が行われる。
海住山寺
真言宗智山派の寺院。
この地一帯は平城京から遷都された恭仁京が造営された地でもある。
創建は恭仁京造営の6年前の735年に聖武天皇の勅願で良弁によって創建。
中世には荒廃していたが、興福寺の貞慶が1208年に入寺し補陀洛山海住山寺として再興。
国宝の五重塔は貞慶の一周忌に完成、本尊の十一面観音立像や四天王立像など多くの寺宝を所有している。
蟹満寺
真言宗智山派の寺院。本尊の釈迦如来は国宝。
今昔物語集の蟹の恩返しの話は有名
680年ごろの創建とされる。
4/18の蟹供養放生会は全国から蟹業者の信者が参列する。
岩船寺
真言律宗の寺院。
石仏が多くある当尾の里にある。
紫陽花で有名。
729年に聖武天皇の勅願で行基が建立した阿弥陀堂がはじまり。
浄瑠璃寺
真言律宗の寺院。
古くから小田原と呼ばれる地にある。
九品往生の思想で、九体の阿弥陀如来を造ることが平安時代に流行したが、浄瑠璃寺にのみ残っている。
阿弥陀如来と本堂、宝池の対岸の三重塔、四天王立像は国宝。
庭園は国の特別名勝・史跡に指定。
笠置町
笠置寺
真言宗智山派の寺院。
笠置山の山頂付近にある。
本尊の弥勒磨崖仏は高さ15m幅15mの岩に刻まれたが火災や経年によって現在は光背を残すのみ。
興福寺の貞慶が海住山寺を再興する前に笠置寺に滞在していた。
修験道の霊場でもあり、胎内くぐり、蟻の戸渡り、ゆるぎ石などの行場がある。
鎌倉幕府討幕を企てる元弘の乱の合戦の舞台でもあり、後醍醐天皇は捕らわれ隠岐に流された。
府立笠置山自然公園
平城京に近いことからこの地は仏教信仰の地として、栄えていた。現在も山に石仏や名石が見られる。
精華町
祝園神社の居籠祭
崇神天皇と武埴安彦らの戦いの戦死者の霊を鎮めるための祭りで1月の申の日から3日間行われる。
かつては祭りの期間中に住民は家の中で一才物音を立てずに過ごしたことから音無しの祭りと呼ばれる。
2日目に大松明を先頭に祭場に向かう御田の儀、3日目には竹で邪鬼をかたどった綱を引きあう綱曳の儀がある。
関西文化学術研究都市記念公園(けいはんな記念公園)
平安遷都1200年を記念して1995年に開園。
「自然との調和」をテーマに日本庭園、芝生広場、イメージシンボルの月をイメージした観月橋がある。
亀岡市
出雲大神宮
709年に初めて社殿が創建された。大国主命と后神である三穂津姫命を祀る。
御神体山の御陰山付近には千歳車塚古墳があることから、古くからこの地で有力な氏族が崇敬していたとされる。
鎮花祭
4月18日に行われる。
昔は花の散る時期に疫病が蔓延するとされていたので花を鎮める目的で行われてきた。
出雲風流花踊が奉納される。
鍬山神社
亀岡市の神社。鍬山大明神、矢田社とも言われる。
709年の創建と言われている。
この地に出雲神々が降臨し鍬を用いて保津峡を開拓して水を流し、山城盆地を開拓したという神話がある。この時に鍬が山のように積み重なったことから鍬山という名がついた。
平安時代の医者で「医心方」の著者である丹波康頼もこの神社を信仰した。
医心方は日本最古の医学書であり、仁和寺が所有する国宝は、これを写経したもの。
亀岡祭
10月1日〜31日に行われる。
20日の神幸祭で神輿が御旅所の形原神社に渡御、25日に還幸祭が行われたあとに神輿とともに8基の曳山と3基の舁山が巡行。
篠村八幡宮
亀岡市にある神社。応神天皇と神功皇后を祀る。
1071年に源頼義が創建。
足利尊氏が鎌倉幕府倒幕の挙兵した旗上げの地である。
境内には尊氏が矢を埋めたとされる矢塚、当地の最初の社である乾疫神社がある。
穴太寺
天台宗の寺院で西国三十三所観音霊場の第21番札所。
705年に大伴古麿によって創建。
今昔物語集や扶桑略記などに記された身代わり観音の話がある。
府立保津峡自然公園
亀岡から嵐山に至る渓谷。
保津川下りが行われる。
福知山市
御霊神社
福知山市の神社で稲荷神と明智光秀を祀る。
光秀は丹波国の領主で由良川や港の整備などの功績がある。
旧所在地には榎神社の小祠がある。
元伊勢外宮豊受大神社
福知山市の神社。
伊勢神宮外宮の元宮とされる。
319年、天照大神が大和から丹波に遷された際に豊受大神と併せて祀られたことが始まり。
後に伊勢神宮に鎮座したが、元伊勢三社のうちの1社として信仰を集めている。
元伊勢内宮皇大神社
福知山市の神社。
伊勢神宮内宮の元宮とされる。
上記の元伊勢外宮豊受大神社、天岩戸神社と並んで元伊勢三社として信仰。
本殿は神明造。
境内には80もの小宮があり、厄除けの八方詣が行われる。
鬼ヶ城(おにがじょう)
京都の難読地名
丹波と丹後の境界に位置する標高540mほどの山で、酒呑童子と同じ鬼である茨木童子が棲んでいたという伝説がある。
最終的に源頼光らによって首を切られたとされる。
綾部市
光明寺
真言宗醍醐派の寺院。
599年聖徳太子の創建で役行者が修行し聖宝が中興したとされる。
国宝の二王門は鎌倉時代のもの。
南丹市
生身天満宮
南丹市園部にある菅原道真を祀る神社。
道真が在世中に祀ったため「生身」と呼ばれる。日本で最古の天満宮になる。
901年、武部源蔵が道真の左遷の際、八男の慶能の養育を託された。
武部源蔵は無事に道真が帰って来れるよう、道真の木造を彫って生祠を建てた。
死後は霊廟に改め、955年に神社として奉った。
学問の神としての信仰に加え、歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」に登場する武部源蔵との縁で歌舞伎役者も参拝する人がいる。
京都帝釈天(福寿寺)
南丹市にある曹洞宗の寺院で本尊は帝釈天。
780年に和気清麻呂によって創建。
帝釈天の縁日が庚申の日であることから庚申信仰の拠点として崇敬されてきた。
参道には108基の願いの鐘があり、1つ1つ鳴らしながら本堂へ進むと願いが叶うとされる。
美山町北 伝統的建造物群保存地区
入母屋造で茅葺屋根が特徴の集落。
府立るり渓自然公園
園部川の一部。
渓谷や急流が見られる標高500mの場所に位置する。
宮津市
籠神社(元伊勢)
天橋立の北側に鎮座する。
伊勢神宮に祀られる神が鎮座していたことから元伊勢と称される。
現在の祭神は丹後・丹波地方に養蚕や稲作を広めたとされる彦火明命。
宮司の海部氏の家系図には彦火明命から平安時代初期までの家系が記されており日本最古の家系図とされる。
葵祭
4月24日に行われる。
賀茂社の葵祭は双葉葵をつけるが、籠神社では藤をつける。
成相寺
橋立真言宗の単立寺院で本尊は聖観世音菩薩で今昔物語集には身代わり観音の伝説が記されている。
西国三十三所観音霊場の第28番札所。
704年に文武天皇の勅願寺として真応上人が創建。
境内の撞かずの鐘は鐘の鋳造の際に赤ん坊が落ちてしまい、鐘を撞くたびに泣き声のように聞こえたため撞くのをやめたという。
智恩寺
臨済宗妙心寺派の寺院で本尊は文殊菩薩。
日本三文殊のひとつで、切戸の文殊堂として知られる。
文殊堂は雪舟の国宝「天橋立図(京都国立博物館所蔵)」にも描かれている。
宝筐院塔は和泉式部の歌塚といわれる。
天橋立公園

砂嘴である大天橋、小天橋、第二小天橋と、これらの地域が展望できる傘松の4つの地区からなる。
丹後海と星の見える丘公園(丹後エコパーク)
通称「うみほし公園」
学校や団体などの研修施設としても利用される。
舞鶴市
金剛院
舞鶴市東部にある真言宗東寺派の寺院。
829年に平城天皇の第三子高岳親王によって開かれたとされる。
境内の三重塔は室町時代に再建されたもので、周りは多くの紅葉に彩られることから「丹後のもみじ寺」として知られる。
鶴亀の庭は細川幽斎の作庭。
松尾寺
真言宗醍醐派の寺院。
西国三十三所観音霊場の第29番札所。馬頭観世音菩薩を本尊とする札所は当寺のみ。
708年に唐の僧、威光上人が草庵を結んだことが始り。
平安時代には鳥羽天皇、皇后美福門院の帰依を受けて65の寺坊となる。
美福門院の念持仏の仏画である普賢延命菩薩像は国宝、快慶作の阿弥陀如来坐像は重要文化財。
仏舞
松尾寺で5月8日に、仏面を着けた6人の舞人が舞を奉納する。
重要無形民俗文化財に指定。
若狭湾国定公園
伊根町
浦嶋神社
伊根町にある浦嶋子を祀る神社。浦島太郎の伝説の舞台。
日本書紀にも描かれている浦島太郎伝説を聞いた淳和天皇が小野篁を勅使として社殿を造営した、もしくは丹波豪族だった浦島一族を称えて建立したとされる。
重要文化財の浦島明神縁起絵を所有する。
伊根祭
7月下旬に2日間行われる。
伊根町の海上安全や大量を祈願する。
京都の八坂神社から牛頭天王を勧請したことが起源。
大漁の年に行われる「大祭」で出される船が海に浮く山鉾のように見えることから「海の祇園祭」と呼ばれている。
伊根浦 伝統的建造物群保存地区

伊根湾では漁業が盛んに行われてきた地で、海にせり出すように建てられた舟屋は一階が船の倉庫、二階が居室になっている。
伊根には舟屋が230軒ほどあり江戸時代末期建造のものも残っている。
京丹後市
神谷太刀宮
京丹後市久美浜町にある神谷神社と太刀宮が合併した神社。
神谷神社は丹波道主命が神谷に八千矛神を祀ったことが始まり。太刀宮は丹波道主命の死後、宝剣「国見の剣」を御神体とし社殿を建てたのが始まり。
参考館は1870年、旧久美浜県庁舎の一部を移築。
如意寺
京丹後市久美浜にある高野山真言宗の寺院。
奈良時代に行基が建立したとされる。
本尊の十一面観世音菩薩は行基が彫ったとされる秘仏、不動堂の日切不動尊に日を切って願いをかけるとご利益がある。
間人(たいざ)
京都の難読地名
飛鳥時代に仏教の受け入れを巡って対立した蘇我氏と物部氏の争乱があった。
争乱を避けるために聖徳太子の生母、穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)がこの地に滞在し、のちに奈良へ戻った(退座した)由来で、その名前と読みをいただき「たいざ」となったと伝わる。
山陰海岸国立公園
京丹波町
丹波自然運動公園
トレーニングセンターや球技場、アスレチックやBBQなどのアウトドア施設、天文施設がある。
与謝野町
加悦(かや) 伝統的建造物群保存地区
丹後ちりめんで栄えてきた地区。
ちりめん街道の愛称でも知られる。
平入切妻造の町屋が多く、繊維問屋だった旧尾藤家住宅は国の重要文化財に指定。
大津市
延暦寺
天台宗の総本山で世界遺産。
785年に最澄が比叡山に入山し、788年に現在の根元中堂を建立し、薬師如来を祀ったことがはじまり。
900年代には政治への影響力が強くなったことから中世には武家と対立し1571年に織田信長の焼き討ちにあった。
国宝の根元中堂は1642年に再建され全山の総本堂。