2025年6月6日、京都に住むものにとって非常に興味深い映画が公開された。
映画名は「ぶぶ漬けどうどす」だ!
京都人にとって禁忌の言葉として知れ渡っているが、これを題材にしているということは...
きっといけずな京都人を描いているのだろうと容易に想像がつく。
面白い、面白くないはさておき、京都を題材とした映画、しかもロケ地もほとんど京都で行われたということだ。
普段住んでいる街が映画館のスクリーンに映し出されるということは、非常に光栄である。
事前に映画の評論サイトのようなウェブサイトを見てて予習をしていると、とあるサイトでこの映画のカテゴリー分けがホラー映画に分類されていたことに驚いた。
その瞬間、妙に納得感はあった。おそらく見た目は笑顔、中身は鬼のような形相をしている京都人が表現されているのだろうと予想をしつつ映画館に足を運んできた。
今回は、実際に京都市に住んでいる管理人が京都人の目線で映画の評論を行っていく。
「ぶぶ漬けどうどす」ってどんな意味?
さて、映画を見る前にあらかじめ押さえておく必要がある「ぶぶ漬けどうどす」ってどんな表現なのか。
ぶぶ漬けは一般的に言うお茶漬けのことですが、京都で訪れたお店の人や、訪問しているお宅で「ぶぶづけどうどす」と言われるとその人は帰らなければならないという暗黙のルールがある。
一瞬歓迎されているような感じには聞こえてしまうが、「ぶぶ漬けどうどす」と発言している人は歓迎しているのではなく、本当は帰ってほしいと思っているのだ。
これが京都人の、本心を直接表現するのではなく、あえて遠回しに伝える風習のようなものである。
なぜこんな風習があるのか。
それは平安時代から1000年以上続いた平安京の中ではご近所さんが生業でお世話になっている方であったり、町内会の組織でお世話になっている方が多い環境だった。
その中でなにか人間関係のトラブルがあると、今後その町内で日常を過ごすことが難しくなってしまう。
そこで、日常の会話で物事を直接的に表現する本音ではなく、あえて遠回しに表現をすることで近隣住民の間で適度な距離を保ち自分や家族を守り続けていたからと言われています。
「ぶぶづけどうどす」=「おかえりください」は京都の建前を表す最も有名な表現ですが、他にも有名なフレーズがいくつか存在するのでご紹介します。
「ええ時計持ってはりますな」は、お話に夢中になって時を忘れているお客さんに対して、遠回しに時間を認知させるための方法で、この場合の意味も「おかえりください」というニュアンスになります。
「お子さん、えらい元気やねえ」は、元気でよろしいですね!という意味ではありません。「お子さんうるさいから静かにさせて」というニュアンスになります。
これらのように京都人の間では、言葉を直接的な意味で捉えるのではなく、逆の意味で捉える必要があるという暗黙のルールのようなものが存在するのですが、今回の映画はこの暗黙のルールに対して、東京から初めて京都に引っ越ししてきた主人公が悪戦苦闘しながら生活をするという構成になっています。
管理人も2020年に京都に引っ越したときは、京都人独特のフレーズは認知はしていたのですが、実際にどんなタイミングで遭遇するのかソワソワしていた記憶を思い出しました。
あらすじ
京都市中心部、いわゆる洛中にある扇子店の長男と結婚し、お店の若女将として東京から嫁ぐことになった主人公のまどか。
先祖代々続く老舗の誇りを胸にお店のお手伝いをしつつ、東京で行っていたフリーライターの仕事として、扇子店での日常をネットのコミックエッセイとして投稿を始める。
しかし京都人は本音は隠しつつ、遠回しの表現を用いてコミュニケーションを取るということを知らないまどかは、日常生活を送る上で、さまざまな問題を起こしてしまう。
近所の女将さんだけでなく身内にまで呆れられてしまい、まどかの京都生活が大波乱に...
映画の感想
洛中カーストは本当に存在するのか?
この映画で表現されている京都人は、京都府の中の京都市の中の、さらに洛中という昔の平安京の碁盤の目のような街並みをしている一部の人間のことを指している。
洛中の人は特に保守的でプライドが高いため、洛中以外は京都ではない!という洛中カーストが存在する、ということは耳にはするが、洛中に住んでいるからといって洛中を全面的に押し出してマウントを取るような人は未だ見たことはない。
とはいえ洛中を下に見るような発言はNGだ。瞬間湯沸かし器のごとくお怒りになられるだろう。
しかし、この映画では主人公が洛中の人を刺激するような発言をしてしまう。その後の展開はお察しの通りだ。
このように洛中の人を刺激する表現は、一視聴者から見ると「いいぞもっとやれ!」というワクワク感もありつつ、「そんなこと言ったら終わりや...」という恐怖を同時に感じることができた。
普段の生活では洛中を刺激する発言はすることができないので、せめて映画の中では、刺激した後の取説的な例を学ぶことができた。
自分が主人公の立場になったと考えると恐怖で震える。
実際に京都で生活をしていると洛中だけ特別扱いや、洛中の人は身分が高いなど、そんなことは一切感じない。
もしかしたら表には出てこないだけで、内には秘めているかもしれない。
よくテレビやネットミームで聞く洛中カーストは、バラエティ的にネタになるから取り上げられているだけだと信じてこれからも京都で生きていこうと思う。
京都人視点で見ると、逆張りの行動ばかりする主人公に絶句
京都人の独特の皮肉フレーズに対して、そのままの意味で理解して行動する主人公、ほんとうの言葉の意味を理解しながら映画を見続けている管理人からすると、思わず「やめろお!それ違う!」と口に出してしまうような恐ろしい行動の連続、ついに痺れを切らした近所の女将さん方から、「そのままの意味で捉えたらあかんえ?」と忠告をされてようやく京都人の真髄を理解した主人公。
これで一安心かと思っていた矢先、今度は皮肉フレーズではない普通の日常会話でも真逆の意味で捉えてしまい、行動全てが逆張りになってしまう始末...
京都人は全て建前で表現しているものだと究極の勘違いをしてしまった者の末路だった。
その後の展開を想像しただけで、とにかく震えが止まらない。
次第に表情が曇っていくお母さんを見ているととても辛くなった。
京都人の本音と建前の使い分けのシチュエーションはその場の空気によって流動的になるので、その人の表情や口調などの微妙な違いを察しないと理解はできないと思った。
実際に映画を見ていると、これは本音、これは建前だとほぼ全て理解できたような気がした。
総評
この映画は京都人の本音と建前の使い分けをテーマにした映画だが、この本質を理解していない京都外の人にも理解はしやすいほど誇張された表現が多い。(主人公の理解力は皆無)
結局、この映画のオチが謎の展開ではあったが、京都人の特性が面白くもあり、恐くもあり、両面的な観点で理解できるようになっている。
実際の京都人はこの映画に出るようなわかりやすい表現はしないのだが、京都の外から見る京都人の姿はこんな感じに見えているのか!いつもと違う視点から京都を見ることができた。
京都に観光や移住で来る方たちにはこの映画を見て京都人の特性をよく理解してもらって円滑なコミュニケーションをとっていただきたい。