1000年の歴史を持つ京都は平安遷都の前から鎮座していた神社、平安遷都を機に建立した神社、明治に入って建立した神社...多様な経緯や歴史を持つ神社がたくさんあります。
色んな願い事をもって神社巡りをされる方が多いと思いますが、どの願い事ならどの神社で願うと良いのかこの記事を読むと理解できます。
厄除け
長い歴史を持つ京都では、災いを鎮めることを目的として多くの神社が建てられました。
京都の神社の歴史の根源は厄除けにあると言っても良いほど、かつての市民は神社で厄除けの祈祷や祭りを行いました。
その名残が現在の多くの神社にあるため、京都は厄除けにご利益のある神社が多いです。
平安神宮
平安神宮は、平安遷都1100年を機に明治時代に建てられた神社で、平安京の歴史の最初と最後の天皇である桓武天皇と、孝明天皇を御祭神に祀ります。
氏子地域は京都市内全てとのことなので、京都市に住む人々は平安神宮に守られていることになります。
1000年の歴史を守ってきた御祭神によって京都は災いや疫病から守られ続けていたので、厄除けとしてのご利益がある代表的な神社です。
八坂神社
八坂神社本殿には素戔嗚尊を祀ります。
出雲の地で八岐大蛇を退治して草薙剣を得た話は有名で、厄除けの神として知られています。
869年に全国で疫病が流行した時、当時の国の数である66本の矛を立てて災いの除去を祈った儀式が祇園祭の始まりと言われています。
上賀茂神社
上賀茂神社の御祭神は賀茂別雷大神で、別雷とは雷を別けるほど強い力を持っているという意味があります。
記紀神話には登場しない神で、山城の賀茂族の系譜にあたる氏族神、つまりは地方神にあたります。
雷を別けるほどの強い力によって災いを退けることができることから上賀茂神社は厄除けのご利益が強いと言われています。
下御霊神社
冤罪を被り亡くなられた8名の御霊を祀っている神社です。
8名の内の早良親王は桓武天皇の皇太子でありましたが、長岡京遷都に貢献した藤原種継の暗殺に関わったと罪を被ります。
早良親王本人は無実を訴えるために10日間の絶食を行い、憤死してしまいます。
北野天満宮
現在は学問の神様として信仰が深い北野天満宮の過去は意外な経緯があります。
京都から太宰府に左遷された菅原道真が亡くなった後、京都で落雷により有力者が次々と若くして亡くなります。
この出来事は亡くなった菅原道真の怨霊のしわざだと人々に恐れられ、北野天満宮は怨霊を鎮めるために建立されました。
北野天満宮はもともとは京都の街を守護する厄除けとしての目的があります。
粟田神社
御祭神の素戔嗚尊は八岐大蛇を退治したことから厄除けとして信仰されています。
粟田神社で行われる粟田祭で使われる剣鉾は祇園祭の山鉾のルーツになったと言われていることから古くから厄除けとして信仰されていたことが分かります。
平野神社
京都の神社の中でも屈指の桜の名所として知られます。
境内にある磁気を帯びた霊石には邪気や厄を吸い取ってくれると言われています。
樹齢400年の御神木に手を触れながら反時計回りをすると厄除けのご利益があります。
晴明神社
天才陰陽師として有名な安倍晴明を祀る神社です。
安倍晴明は近年だと漫画や映画やゲームなどで名前を聞くことも増えてきました。
陰陽師としての役割は占いや雨乞いなどの祈祷など多岐に渡り、人々の安全が目的でした。
建立は1007年で、以来さまざまな災いや病気から身を守ってくれるという評判が今でも続きます。
吉田神社
節分祭りで有名な神社で、境内の大元宮は日本中の神々を祀ることから、大元宮にお参りすれば日本中の神社を参拝したことと同じ意味があると言われています。
建立は859年と古く、神楽岡(神が集まる岡)という場所に鎮座します。
京都御所の鬼門にあたる北東に位置することから、京都の街の守護を目的として創建され、雷神として知られる建御賀豆智命などの4柱が御祭神です。
商売繁盛
伏見稲荷大社
全国に30000社ある稲荷神社の総本社。
稲荷大神が降臨した稲荷山には山中に鳥居が連なっています。
主祭神である宇迦之御魂大神は穀物の神ではありますが、穀物を実らせるように商売も実らせてくれるという信仰から伏見稲荷大社は商売繁盛のご利益で有名になりました。
三が日は境内が人で身動きができないほどの参拝者が訪れるほどの、京都市内でも1、2を争うほどの初詣の名所です。
稲荷大神が降臨したとされる2月の初牛の日は商売繁盛のご利益がある「しるしの杉」が授与されます。
京都えびす神社
七福神で唯一の日本の神である恵美須由来の神社。
日本三大えびすの一つで1月の初えびすの時期は福笹を求めて多くの人が訪れます。
恵美須は鯛と釣り竿を持った姿から漁業の神、大漁というイメージから商売繁盛のご利益が現在は有名です。
開運・勝運
今宮神社
京都の紫野に鎮座する神社。
稲田姫命、大己貴命、事代主命を祭神とし、今でも御霊会が行われることから厄除けとしての信仰があります。
994年に創建されましたが、中世の社会情勢により廃れてしまいます。
復興に貢献した徳川綱吉の母、桂昌院は生まれは身分の低い八百屋の娘でしたが、徳川家光の側室として迎えられるほどの大出世をしたことから玉の輿、開運などのご利益として親しまれるようになりました。
御金神社
元は鉱物の神を祀る街中の小さな神社ではありましたが、明治16年に氏子らによって現在の社殿が生まれました。
近くにある釜座通、両替通では古くから硬貨の製造や茶釜の製造が行われており、厚い信仰を受けていました。
その名残からか現在はお金に縁のある神社、つまり金運に強いご利益のある神社として全国から参拝者が訪れます。
三が日は参拝に2時間待ちの行列ができるほどの人気のスポットです。
大豊神社
哲学の道沿いに鎮座する神社。
祭神の応神天皇は弓術の達人で武の神や出世開運のご利益があります。
境内には梅と桜の花が並び、タイミングが合えば両方の花が同時に咲いている姿を見ることができます。
末社の大国社には全国的にも珍しい「狛ねずみ」があります。
建勲神社
戦国時代の武将、織田信長を祭神として祀ります。
創建は1870年と比較的最近で明治天皇により創建が決定されました。
信長の業績にあやかって開運、難局突破、国家安泰のご利益があります。
恋愛成就・縁結び
平安神宮
京都市内全体を守護する氏神神社で、祭神は平安京最初の天皇である桓武天皇と最後の天皇である孝明天皇。
戦前に平安神宮で結婚式を多く行ったことから現在は縁結びのご利益をもとめて参拝する人が多いです。
京都三大祭の時代祭が行われる神社で、市内を2000人以上の民族衣装をまとった時代行列が京都御所から平安神宮まで向かいます。
下鴨神社
境内にある相生社は産霊神を祀り、縁結びのご利益が強いと言われています。
摂社の河合神社は神武天皇の母、玉依姫命を祀り、美麗の神様としても知られています。
女性にとってご利益のある神社が多いことから下鴨神社は縁結びのスポットとして人気です。
八坂神社
素戔嗚尊とその妻である櫛稲田姫命を祀っていることから縁結びや家内安全のご利益として有名です。
広い境内の中にも縁むすびの神を祀る大国主社、舞妓さんも信仰する美の神を祀る美御前社もセットで参拝する女性が多いです。
7月に行われる祇園祭は全国的にも有名で、まるまる1ヶ月間は祭事や山鉾巡行、神輿渡御など様々な行事が続きます。
梨木神社
御神木の桂の木は愛の木とも言われ、ハートの形をした葉が特徴です。
木に触れながら祈ると願いが叶うといわれています。
六孫王神社
テキスト
学業成就
北野天満宮
学問の神様として信仰を集める菅原道真を祀ります。
元は菅原道真の死後に度重なった天変地異を鎮めるために創建されましたが、文学に秀でていた菅原道真にあやかり、江戸時代には各地の寺子屋に御神影が掲げられ、学業成就や武芸上達などが祈願されるようになったことから現在は広く学問の神様としての信仰が強くなっています。
梨木神社
京都御苑東に鎮座する神社で三條實萬、三條實美を祀ります。
幕末から明治にかけての公家で、明治維新に大きく貢献した人物でした。
三條実萬は菅原道真の生まれ変わりとして当時の人々からは「今天神様」と呼ばれていました。
三条実美は、父実萬の遺志を継ぎ、幕末期には討幕の実現に尽力し、明治維新後は太政大臣となり明治天皇の補佐役として活躍しました。
大豊神社
本殿に学問の神様、菅原道真を祀ります。
無病息災・健康長寿
下御霊神社
祭神の崇道天皇らはかつて無実の罪により非業の死を遂げた人物で、彼らの死後、疫病や天変地異が発生します。
下御霊神社は疫病の発生原因となった怨霊を鎮めるために創建された神社で、現在も無病息災の信仰を集めています。
宗忠神社
京都、神楽岡・宗忠神社の創建に尽力した赤木忠春は、8年間の盲目が、黒住宗忠(現在の宗忠大明神)の一度講席を拝聴して快方したことから、眼病の方から信仰を集めています。
御祭神は天照大神と岡山に本部を置く黒住教の教祖「宗忠大明神」を祀ります。
今宮神社
4月に行われる「やすらい祭り」は疫病を鎮め、無病息災を祈願するためにはじまったお祭で、京都三大奇祭の一つに挙がります。
交通安全
粟田神社
粟田神社はかつての東海道の西端に位置しており、京都から東へ向かう際は粟田神社で旅立ちの無事を祈願していた人々が多かったことから、交通安全としての御利益が親しまれるようになりました。
お守りでは珍しい自転車守りなども授与されます。
伏見稲荷大社
佐田彦大神は交通安全・道中安全の神とされています。
車を購入した際は車祓いを行なっていただけます。
音楽・芸事上達
白雲神社
京都御苑の中に鎮座する神社で、市杵島姫命を祀ります。
宗像三女神の中でも一番の美人とされ、芸術や芸能面にも秀でていました。
仏教においては弁財天と同一神とされています。