起源・歴史
1315年に大燈国師によって開創され、花園天皇と後醍醐天皇の厚い信仰を受けました。
1334年には後醍醐天皇が大徳寺を本朝無双の禅苑と定めて南禅寺とともに京都五山の上に列します。
しかし足利幕府と対立関係になると衰退していき京都五山からも外されます。
応仁の乱で建物は焼失しますが、「一休さん」でお馴染みの一休宗純が堺の豪商の保護を受けて復興し、豊臣秀吉や諸大名の寄進も受け、現在の建造物は江戸時代初期には整備されました。
勅使門、三門、仏殿、法堂、方丈が南北に並ぶ配置は禅寺特有です。
1582年に豊臣秀吉が織田信長の葬儀を大徳寺で行い、1500年から1600年にかけては戦国武将らによって多くの塔頭が創建され、当時の記録では塔頭24、末寺285にも及びました。
宗派
臨済宗大徳寺派(大本山)
臨済宗は中国禅宗五家の一つで鎌倉時代に榮西により伝えられ、武家を中心に信仰されました。
日本で最初の禅寺は博多の聖福寺、京都には源頼朝の支援を受け建仁寺が建立、室町時代には足利義満によって京都五山制度が設けられ、鎌倉、室町と政治に結びつきながら発展していきました。
大徳寺派は大徳寺創建の大燈国師により開祖され、本尊は釈迦如来
見どころ
三門
現在の姿は応仁の乱後に宗長によって下層が寄進、千利休が上層を完成させて「金毛閣」と名づけられました。
千利休の恩を受け、大徳寺住職は楼上に自身の木像を安置しましたが、その下を豊臣秀吉を通らせたことで秀吉は激怒、千利休は晴明神社で自刀させられてしまいます。
現存する禅寺の三門で一番古いのは東福寺ですが、二番目は大徳寺になります。
仏殿
仏殿は1665年に京都の豪商・那波常有によって寄進。
内部には本尊の釈迦如来像、雲龍図、天井には天人散華図があります。
1909年に国の重要文化財に指定
御朱印
境内図
住所 拝観時間 拝観料 公式ホームページ
住所 | 京都府京都市北区紫野大徳寺町53 |
拝観時間 | 9:00〜16:00 |
拝観料 | 境内無料 塔頭は別途必要 |
公式ホームページ | なし |
アクセス・交通情報
電車 | 地下鉄烏丸線北大路駅から徒歩10分 |
バス | 京都駅から市バス205・206号系統に乗車し、大徳寺前で下車 河原町駅から市バス12号・205号系統に乗車し、大徳寺前で下車 |
車 | 専用駐車場あり(有料) |
自転車 | 境内に駐輪スペースあり |