日本で5番目に寺院の数が多い京都府の中で、管理人が巡った寺院を宗派別に分けてご紹介します。
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北法相宗
清水寺
京都市東山区の清水寺は京都では一番の有名スポットです。
学生時代に一度は修学旅行で訪れたことがある方が多いでしょう。
清水寺の一番の見どころはやはり、清水の舞台。
清水の舞台から飛び降りる‥ということわざの由来の場所です。
春は桜、初夏には新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と一年を通して足を運ぶ楽しみがあります。
天台宗
真正極楽寺(真如堂)
京都市左京区の真如堂は、京都市内の天台宗では最も規模が大きい寺院です。
一般的には真如堂の名前で知られていますが、正式には真正極楽寺といいます。
本堂には本尊の阿弥陀如来に加えて、不動明王、千手観音も祀られています。
そして真如堂の象徴ともいえる三重塔は実は創建は江戸時代と比較的歴史が浅い建造物です。
紅葉の季節には多くの観光客が足を運ぶ紅葉の名所の一つです。
三十三間堂
建物の正式名称は蓮華王院本堂、東大路通に面している妙法院の境外仏堂です。
建物内の端から端までズラリと並ぶ千手観音像ですが、一体一体のお顔が違うそう。
今はもう会えないあの人に会いたいと思いながら、一体一体の顔を見ていくと会いたい人にそっくりな仏像に出会えるそうです。
普段は拝観が有料ですが、毎年春に開催される春桃会の日は無料開放されるのでおすすめです。
廬山寺
紫式部の邸宅跡にある廬山寺。
あの源氏物語が執筆されたのもこの地です。
昭和40年に整備された源氏庭には源氏物語にも登場した桔梗が植えられ、夏にかけて花開きます。
節分の日には追儺式鬼法楽という節分会で、退治の儀式が行われることで有名です。
京都在住の方は新聞やテレビで見たことがある方も多いでしょう。
浄土宗
知恩院
八坂神社から円山公園にかけて散策していると目に入ってくる巨大な三門は京都三大三門の一つに名前が挙がります。
今でこそ敷地面積が広く有名な寺院ですが、創建当初は規模が小さく、浄土宗の信仰が強い徳川家康によって大きく発展を遂げました。
日本最大級の梵鐘でも有名で除夜の鐘を鳴らす際には17名もの僧侶が心を合わせて打ち鳴らす光景は圧巻です。
近年は直接参拝しなくともYouTubeによる配信が行われているのは時代の流れを感じます。
禅林寺(永観堂)
「もみじの永観堂」として古今和歌集で詠われているだけあって、境内の紅葉は圧巻です。
特に多宝塔と阿弥陀堂を背景に、紅葉が放生池に映り込む光景が人気の撮影スポットです。
紅葉ライトアップはおそらく清水寺に次ぐ人気がありますので、拝観の混雑には覚悟が必要です。
金戒光明寺
近隣住民からは「くろ谷さん」で親しまれている金戒光明寺は幕末に京都守護職の本陣が置かれた場所でもあります。
本陣が置かれた理由は、比較的高台にあり京都の地を見渡せること、御所にも近いため防衛拠点としては絶好の場所であったからです。
実は金戒光明寺を防衛拠点として考えていたのは徳川家康の時代まで遡り、家康は大阪からの敵襲にいち早く気付く、いざとなれば御所まですぐに駆けつけることができることを重視して金戒光明寺を整備したと言われています。
栄摂院
金戒光明寺の塔頭寺院で、通常は非公開ですが紅葉の季節のみ特別公開されます。
門外からでも目に付く1本の紅葉が鮮やかで力強く、思わず惹きつけられるような感覚で見入ってしまいます。
浄土真宗
西本願寺
浄土真宗本願寺派の本山。
起源は東山から始まり、その後場所は転々とし、現在の地に移ったのは1591年のことです。
御影堂で毎朝6時から行われるお勤めは無料で参加でき、みなさん思い思いの時間を過ごしています。
瑠璃光院
京都八瀬の瑠璃光院は写経机に紅葉が反射する紅葉リフレクションで絶大な人気を集め、秋の拝観予約は多くの人が殺到し、拝観が叶わないこともあります。
通常は非公開で、春と秋の期間しか公開されませんが、人生で一度は訪れたい場所です。
春の特別公開中は写経体験もでき、お土産に写経に使用したボールペン、近隣のルイ・イカール美術館のチケットもついています。
日蓮宗
本能寺
日本人で本能寺を知らない人はいないほど知名度のある寺院です。
あの本能寺の変が発生した場所は現在の地ではなく、元本能寺町という場所になります。
本能寺の変後豊臣秀吉によって現在の地に移されました。
本満寺
日蓮宗本山の本満寺。
桜の季節には観光サイトやSNSで取り上げられる有名なスポット。
1本の枝垂れ桜はあの円山公園の姉妹樹でもあります。
妙伝寺
日蓮宗本山の妙伝寺は1477年に創建。
宗祖日蓮の遺骨を奉安し、総本山である身延山久遠寺の守護神七面天女を安置することから西身延とも呼ばれています。
京都祇園にある南座で年末に開かれる「顔見世」中に劇場前に飾られるまねき看板が描かれる場所がこの妙伝寺です。
妙顕寺
妙覚寺
日蓮宗三具足山のひとつである妙覚寺は1378年に四条大宮で創建、下妙覚寺町に移り織田信長の宿所となりましたが、本能寺の変で消失。
信長は京都での宿泊の際、18回をこの妙覚寺を使用しました。
本能寺に宿泊した回数は3回と数少なく、このわずかな回数の3回目で明智光秀の襲撃にあって命を落としてしまいました。妙覚寺では初夏と秋に特別拝観が行われ、信長に振舞われた食事の展示や、本堂前の法姿園に並ぶ紅葉を楽しめます。
常寂光寺
真言宗
仁和寺
真言宗御室派の総本山。
東寺
平安遷都の際、西寺とともに創建されましたが、どちらも度重なる火災で衰退、西寺は廃寺となりましたが、東寺だけは現代に残っています。
新幹線からも見ることができる五重塔は奈良の法隆寺よりも高く、木造建築では日本で一番の高さを誇ります。
観智院
清和院
平安時代前期の第56代天皇である清和天皇の邸宅でした。
当初は京都御苑内にあったため、現在でも御苑東に清和院御門の名前が残っています。
現在の地に移ったのは江戸時代初めのことです。
ご本尊は清和天皇の姿を模しており、清和地蔵尊と呼ばれています。
本堂には洛陽三十三ヶ所観音霊場第33番札所本尊の聖観音も祀られています。
智積院
真言宗智山派の総本山。
国指定の名勝庭園は「千利休好みの庭」と称されます。
広大な境内は梅、紫陽花、ツツジ、桔梗、紅葉と四季折々の景色を楽しめます。
泉涌寺
皇室との関わりが深く、「御寺」とも称される泉涌寺は、創建当初仙遊寺という名前でしたが、境内に泉が湧き出たことから「泉涌寺」と改名されました。
1242年に四条天皇陵が境内に造営されて以来、皇室の菩提所として「御寺」と称されました。
現在の境内には運慶作とされる釈迦・阿弥陀・弥勒三尊が安置されている仏殿、皇室の尊牌を安置する霊明殿、月輪陵・後月輪陵などの皇室陵墓があります。
今熊野観音寺
泉涌寺が開いた法輪寺が始まりとされ、左大臣藤原緒嗣が整備を始め子の春津が完成、名を仙遊寺と改められました。
寺の観音堂が観音信仰の隆盛から有名となり名が観音寺となっていったとされます。
江戸時代には西国三十三所観音霊場15番所として栄えました。
鳥居橋を通過した先にある子まもり大師は観音寺を開設された方で、本堂ではお子さんやお孫さんの健康、学業、交通安全などのご祈祷を受け付けています。
臨済宗
金閣(鹿苑寺)
臨済宗相国寺派の寺院で、相国寺の境外塔頭です。
足利義満によって創建という印象が強いですが、寺として改められたのは義満の死後になります。
名勝にしていされた庭園に佇む金色の舎利殿は日本のみならず、世界中で知名度が高いスポットです。
法観寺
臨済宗建仁寺派の寺院で、八坂の塔で親しまれる五重塔は京都の象徴。
休業日が多く、タイミングが合わないとなかなか拝観ができません。
運良く拝観できた日には五重塔の第二層まで見学が可能で、第一層には五智如来が安置されています。
南禅寺
臨済宗南禅寺派の大本山で京都五山で別格の格式を誇ります。
歌舞伎での石川五右衛門の台詞、「絶景かな、絶景かな」で有名な三門、境内に現れるレトロな水路閣、春の桜、秋の紅葉と見どころ満載。
三門は日本三大三門に名が挙がります。
龍安寺
臨済宗妙心寺派の寺院。
平安貴族の徳大寺家の山荘を細川勝元が妙心寺の義天を開山に招き創建、細川家の菩提寺となりました。
石庭は1499年に造営され、白砂の上に大小15個の石が配置、虎が子供を連れているように見えることから「虎の子渡しの庭」とも言われています。
銀閣(慈照寺)
相国寺の境外塔頭寺院。
足利義満創建の金閣寺とは対照的に東山文化を象徴するわびさびを感じさせる建造物が銀閣と呼ばれる観音殿になります。
観音殿は2層からなり、1層は書院造りの住居、2層は観音像を安置します。
大徳寺
臨済宗大徳寺派の大本山。
1315年に創建され、後に焼失するも一休和尚により再建。
勅使門から山門、仏殿、法堂、方丈が南北に並ぶ七堂伽藍が完備しています。
東福寺
臨済宗東福寺派の大本山。
境内の渓谷に架かる通天橋、臥雲橋から眺める紅葉は絶景で、京都でも屈指の人気を誇ります。
法堂にはかつて高さ15mを超える釈迦如来像が安置されていましたが明治の火災で焼失、現在の本尊は塔頭寺院から移されたものになります。
相国寺
臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山の第二位。
14世紀末に足利義満により創建。最盛期には144万坪の広大な敷地に50を超える塔頭寺院を有していました。
現在は境内に13の塔頭寺院、境外塔頭に金閣寺と銀閣寺を有しています。
法堂は現存する日本最古の建造物で、天井には蟠龍図が描かれており、絵の下で手を叩くと堂内で音がこだますることから鳴き龍として親しまれています。
建仁寺
京都五山の第三位。
1202年に源頼家によって創建された京都最古の禅寺。
開山には栄西が迎えられた。
天授庵
臨済宗南禅寺の塔頭寺院。
1339に南禅寺開山である無関普門を祀る開山塔の建立を機に創建されました。
白砂と苔の美しい枯山水の東庭、南北朝時代の古庭の味わいをもつ池泉回遊式の南庭があります。
勝林寺
臨済宗東福寺の塔頭寺院で、近年は可愛い御朱印や桜、紅葉のライトアップがSNSで人気を集めています。
京都に足を運べない方にも御朱印と御朱印帳のオンラインショップもあります。
通常は8名以上の団体しか拝観できませんが、春と秋は個人の方にも特別公開が行われ、東福寺で安置されていた毘沙門天立像などがご開帳されます。
等持院
臨済宗天龍寺派の等持院は嵐電北野線の駅名にも入る寺院です。
足利尊氏が天龍寺庭園を作園した夢窓疎石を迎えて創建、以来足利家歴代の菩提所となりました。
霊光殿には足利尊氏が信仰した利運地蔵尊を本尊として足利歴代将軍と徳川家康の像が安置されています。
天龍寺
臨済宗天龍寺派の大本山。
京都五山第一位である天龍寺のみどころである曹源池庭園は夢窓疎石により作庭、背景に嵐山を取り込んだ借景式庭園になります。
法堂の天井には臨済宗特有の雲龍図が描かれています。
宝厳院
天龍寺の塔頭寺院。
紅葉と巨岩を配した庭園、獅子吼の庭は策彦周良禅師によって作庭され、「獅子吼」とは「仏が説法する」という意味を持ちます。
嵐山の紅葉でトップクラスの人気があり、夜間ライトアップも行われます。
六道珍皇寺
冥界の王である閻魔大王を祀る臨済宗建仁寺派の寺院でかつての埋葬地であった鳥辺野への道筋にあり、埋葬前はここで法要が行われていたと言われています。
嵯峨天皇に仕え、夜は境内の冥土がよいの井戸を通って冥界に行き閻魔大王の補佐を務めていたという小野篁も閻魔堂で閻魔大王の隣に並んでいます。
特別公開時には本堂の薬師如来を含む寺宝の他、冥土通いの井戸、黄泉がえりの井戸の公開が行われます。
曹洞宗
源光庵
1346年臨済宗⼤徳寺2代・徹翁国師によって開創され、1694年に卍⼭禅師によって曹洞宗に改められました。
本堂からは悟りの窓、迷いの窓の2つの窓から庭園を望むことができます。
詩仙堂
1641年に三河の武士であった石川丈山が開いた草庵が起源。
1641年(59歳)から90歳で亡くなるまで30年間を詩仙堂で暮らしました。
中国歴代の詩人36人(三十六詩仙)の肖像画を狩野探幽に描かせ、堂内に掲げたことから詩仙堂の名で知られるようになります。
曹洞宗の寺院になったのは昭和41年のことで、「六六山 丈山寺」が正式な寺号です。
黄檗宗
浄住寺
810年に建立された嵯峨天皇の勅願寺。
当時は天台宗の寺院でしたが、1687年に葉室頼孝により再興され黄檗宗の寺院となりました。
普段は非公開ですが初夏の青紅葉の季節と秋の紅葉の季節には特別公開が行われます。
単立宗教法人
法然院
浄土宗から独立した単立宗教法人になった法然院。
三門から眺める庭園がまるで額縁に入ったような構図で撮影できることから有名な撮影スポットとなっています。
東山中腹に位置することもあり、境内周辺は森林に覆われており、特に新緑の季節は緑に魅了されます。
大雲院
浄土宗系の単立寺院。
ねねの道沿いで一際目立つ祇園祭の山鉾のような形をした建物は祇園閣と言い、大倉財閥創設者の大倉喜八郎により1927年に建立。
宝筐院
臨済宗系の単立寺院で、室町幕府の二代将軍足利義詮の塔所になります。
回遊式庭園は季節ごとに花を楽しめますが、特にモミジが多く、初夏は鮮やかな新緑、秋は真っ赤に染まる紅葉を鑑賞できます。
安楽寺
哲学の道近くの安楽寺は浄土宗系の単立寺院で通常は非公開ですが、春と秋の一部期間で特別公開されます。
法然の弟子である住蓮と安楽が鹿ケ谷草庵を結んだことが始まりです。
真空益随上人が本堂で修行中、阿弥陀如来から夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷カボチャを振る舞えば中風にならないとの伝えを受け、以降毎年7月にはかぼちゃが接待されます。
六角堂
天台宗系の単立寺院。
境内には587年に聖徳太子が沐浴をしたとされるため池があり、その後この地に六角堂が創建されました。
平安京造営の際、通りの真ん中に位置してしまった六角堂は取り壊されそうになりましたが、翌日に自ら15m移動し取り壊しを免れたという言い伝えがあります。
このとき大きな石だけが通りに残されてしまい、場所がちょうど京都の中心部に位置していたため「へそ石」という名前がつきました。
しかし道の真ん中で通行の妨げになったためへそ石は現在の境内の中に移されました。