京都を代表する禅寺を語るうえで欠かせないのが「京都五山」です。
「五山」とは、禅宗寺院のなかでも特に格式の高い寺院を、幕府が定めた寺格制度によって位置づけたものです。
実は、五山制度は京都だけに存在したものではありません。
そのルーツは鎌倉時代にまでさかのぼります。鎌倉幕府は、既存の宗派の勢力に対抗する意味もあり、当時勢力を広げていた新興の臨済宗を保護しました。
当時、幕府の中心は鎌倉にあったため、鎌倉の主要な禅寺を中心に「鎌倉五山」が形成されました。
鎌倉幕府が滅亡し、足利将軍家による室町幕府が成立すると、今度は京都にも臨済宗寺院を中心とした「京都五山」が整えられます。
五山に列せられた寺院は幕府の保護を受け、政治や文化の面でも大きな影響力を持つようになりました。
室町幕府初代将軍・足利尊氏の時代には、「南禅寺・天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺」が京都五山の寺院とされていました。
その後、3代将軍・足利義満が自身の創建した相国寺を五山に加えようとしたことで、既存の寺院との順位をどのように調整するかという問題が生じます。
南禅寺はもともと五山の上位に位置し、亀山法皇が創建した寺院でもありました。また、天龍寺は祖父の足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建した寺院です。
一方、自ら創建した相国寺については、義満としてもできるだけ高い順位に置きたいという事情がありました。
そこで義満は、南禅寺を五山の「別格」とすることで五山の順位を調整します。
こうして、南禅寺を別格とし、1位を天龍寺、2位を相国寺、3位を建仁寺、4位を東福寺、5位を万寿寺とする体制が整えられました。
現在の京都にも、この京都五山を構成した寺院が残されています。
ここからは、京都五山の各寺院と、それぞれの見どころを紹介していきます。
別格 南禅寺

南禅寺は1291年、亀山法皇が無関普門禅師を開山に迎えて開創した寺院です。
1334年には後醍醐天皇によって京都五山の第一位とされましたが、1385年に足利義満によって五山の「別格」に列せられ、五山第一位よりもさらに上位に位置づけられました。
応仁の乱では、南禅寺の裏山に東軍の赤松軍が本陣を置いたこともあり、戦乱に巻き込まれて多くの伽藍が焼失しました。
その後、復興はなかなか進みませんでしたが、江戸時代に以心崇伝が入寺すると、南禅寺の復興が進められました。
南禅寺の見どころとしてまず挙げられるのが、京都三大三門の一つに数えられる「三門」です。
歌舞伎の演目で、天下の大泥棒・石川五右衛門が桜を眺めながら「絶景かな、絶景かな」と語る場面でも知られています。

そして、南禅寺を訪れたらぜひ見ておきたいのが、境内奥にある「水路閣」です。
寺院の境内ではあまり見かけない、レンガ造りのアーチ状の建造物で、琵琶湖の水を京都市内へ運ぶ琵琶湖疏水の水路として造られました。
明治時代、東京への遷都によって京都は大きな打撃を受けました。そこで、琵琶湖から京都へ水を引くことで、産業の活性化につなげようという一大事業が計画されます。
しかし、その水路を通すためには、南禅寺の広大な境内を通過する必要がありました。
こうして南禅寺の境内に建設されたのが水路閣です。当時は景観を損なうとして地元から反対の声もありましたが、完成後は琵琶湖疏水を利用した蹴上発電所などによって京都の近代化と産業発展に大きく貢献しました。
第1位 天龍寺

天龍寺は1339年、足利尊氏を開基、夢窓疎石を開山として創建されました。
足利尊氏と対立し、吉野で崩御した後醍醐天皇の菩提を弔うことを目的として建立された寺院です。
1358年には京都五山の第二位となり、1386年には京都五山の第一位に位置づけられました。
天龍寺の大きな見どころが、夢窓疎石の作庭とされる「曹源池庭園」です。
池泉回遊式庭園の代表例として知られ、日本で初めて国の史跡・特別名勝に指定された庭園でもあります。
池の向こうに広がる嵐山や亀山を借景とした景観も見事で、特に紅葉の季節には池に映り込む山々と庭園の光景を楽しめます。
第2位 相国寺

相国寺は臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山の第二位に位置づけられた寺院です。
足利義満によって創建され、1386年に京都五山の第二位と定められました。
相国寺ではかつて七重塔が建てられました。1393年に建立された七重塔は翌年に焼失。その後、1399年に高さ約108mともいわれる巨大な七重塔が再建されましたが、1403年に落雷によって再び焼失し、以後再建されることはありませんでした。
また、京都の名所として知られる金閣寺と銀閣寺は、実は相国寺の境外塔頭です。
相国寺は通常、境内を中心に公開されていますが、春と秋の一部期間には法堂・方丈・開山堂などが特別公開されます。
見どころの一つが法堂です。無畏堂とも呼ばれ、本尊の釈迦如来像を安置しています。
天井に描かれた龍は狩野光信筆と伝えられ、特定の場所で手を叩くと音が反響することから「鳴き龍」と呼ばれています。
開山堂には開山・夢窓疎石の像が安置され、前庭には「龍淵水の庭」が広がります。臨済宗寺院らしい枯山水の庭園で、周囲を彩る紅葉も見どころです。
第3位 建仁寺

建仁寺は1202年、宋から帰国した栄西によって開かれた寺院で、京都における臨済宗の寺院として最も古い歴史を持っています。
創建当初は天台・真言・禅の三宗兼学の寺院でしたが、次第に禅宗の寺院としての性格を強めていきました。
京都五山では第3位に位置づけられています。
建仁寺の見どころとしてまず挙げられるのが、法堂の天井に描かれた「双龍図」です。
建仁寺創建800年を記念して、2002年に日本画家・小泉淳作によって描かれました。

「○△□(まるさんかくしかく)の庭」も、建仁寺ならではの特徴的な庭園です。
建仁寺が所蔵する「○△□」という掛け軸から着想を得たもので、中央の苔山とそこに広がる波紋を「○」、白砂を「△」、井戸を「□」に見立てて作庭されています。

そして、建仁寺を代表する文化財が、俵屋宗達の「風神雷神図」です。
知名度も非常に高い名画ですが、現在は京都国立博物館に寄託されており、建仁寺で公開されているものは複製です。
第4位 東福寺

東福寺は、摂政・九条道家が1236年に祖父・九条兼実の菩提寺として建立したことに始まります。
奈良の東大寺と興福寺からそれぞれ一文字ずつを取って「東福寺」と名付けられ、伽藍の整備が進められた後、1255年に完成しました。
その後、東福寺はたびたび火災に見舞われ、1881年の火災では多くの建物が焼失しました。このとき救出された釈迦像の左手が、現在の法堂に安置されています。
最盛期には70もの塔頭寺院を有し、現在の境内よりもはるかに広大な寺域を持っていましたが、明治時代の廃仏毀釈などによって塔頭の数は減少しました。
東福寺の三門は、現存する禅宗寺院の三門として最古のものとされ、国宝に指定されています。

そして東福寺といえば、秋の紅葉も外せません。
京都を代表する紅葉名所の一つで、通天橋から眺める渓谷を埋め尽くす紅葉は圧巻です。
第5位 万寿寺

現在は非公開寺院となっているため、京都五山の中では少し馴染みが薄いかもしれません。
しかし、京都の地名や通り名をたどると、万寿寺が京都の歴史に深く関わってきたことが分かります。
京都の東西の通りを覚える歌にも、万寿寺は登場します。
「四・綾・仏・高・松・万・五条」
この中の「万」が、現在も残る「万寿寺通」の名前につながっています。
ただし、万寿寺は最初から現在の場所にあったわけではありません。
その起源は、六条通に建立された御堂にまでさかのぼります。
その後、現在も通り名として残る万寿寺通付近へ移転しましたが、火災によって焼失。さらに現在の東福寺北側へ移転し、現在に至っています。
